第六章 日常生活と共に呼吸する


願い事の集まり

修行を日常生活に活かすことについての説明です。

修行はあらゆる瞬間に

人は、呼吸をいつ行なっているでしょうか。瞑想をしている時でしょうか。

実際には、生きているかぎり一日中、ありとあらゆるところで呼吸しているはずです。

修行も同様です。一日中、ありとあらゆるところに修行があります。一日中呼吸を見守ること。

生活のあらゆる側面において注意深さを養う必要があります。

修行は坐ることだけではありません。人生のいついかなる瞬間であろうと可能です。

修行とは言いますが、これは日常生活に苦労を持ち込むものではありません。むしろ、気づきが余分な努力を取り除き、対象の活動をより容易にしてくれます。

気づきの修行のコツ

1.できれば、一度にひとつのことしかしないこと。

  現在の瞬間を見つめ、主要な行為が何であるかを理解して、それに専念すること。

  皿を洗っているなら、ただ洗いなさい。

2.自分がしていることに充分な注意を払うこと

  何か単純な仕事を行うとき、その行為に無関係な思考が付随していないか注意深く見守ってください。

3.していることから心がふらふら離れていったら、心を連れ戻すこと。

  行動と分離してしまったときは、無理に行動と一つになろうとせず、分離してしまったことをただ見つめなさい。見ることによって、行為の全体性が回復されます。

4.第三ステップを何万回、何億回と繰り返すこと

  心がさまよっていたら、その状態から優しく、非難することなく、戻ってくることが大切です。

5.気が散ってしまうプロセスを調べること

  状況がゆるすなら、あなたの気を散らすものに意識の焦点を当てるようにしてください。暫くそれに時間をかけてから、もとの仕事に戻ります。

以上のように注意の切り替えを学ぶことが、修行を日常生活に生かす際のポイントです。

ただひとつのことをして、それを完全にやりなさい。しかし、柔軟でありなさい。

修行のポイント

毎日坐ること。

出来れば、家の中に瞑想用の静かな場所を用意できれば最高です。

坐る時間は一概には言えませんが、初心者で15分くらいからはじめて45分、あるいはそれ以上に進めます。

時間の長さよりもどれだけ規則的に坐るかのほうが重要です。

瞑想の先生と集中して修行する場所を見つけることは、大きな助けとなるでしょう。

また、瞑想の仲間を見つけることも、心のささえになります。

倫理的な行動規範も修行の助けとなります。いわゆる、仏教における五戒、殺さない、盗まない、言葉を悪用しない、性的エネルギーを乱用しない、酔わせるものを使用しないということ。

これら戒律は修行者の為のガイドです。これらを完璧に実践することは難しいですが、私たちが進んでいく方向を教えてくれます。

長期のリトリートには、計り知れない価値があります。しかし、坐禅の修行と日常生活を二分する考え方には問題があります。

どちらも大切な局面であり、また真の意味においては、日常生活しか存在していないとも言えます。

人生こそがほんとうの師であり、カリキュラムがすべて設定されています。

唯一無二の特別な修行形態などありません。あらゆる形態、あらゆる瞬間は唯一無二なものです。そのことがわかったときに、私たちはほんとうに修行を始めているのです。

日常生活と共に呼吸するについての私の理解

修行は坐るときだけではなく、日常生活全般にも行うものであると理解しました。

自分としても、坐る時間よりもはるかに長い日常生活において、呼吸を見つめる必要性を感じ実際に行なっていたので、日常生活にこの修業を取り入れることの効果を実感としてもっております。

修行といっても、ある程度の努力は必要ではありますが、苦しいものではなく、むしろ心の拠り所となり、生きることを容易にしてくれると感じております。


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