正しい瞑想における肉食考


正しい瞑想をするうえで、肉食について迷いました。

肉食について

ブッダの説いた瞑想を実施するにあたり、その前提として五つの戒めを守らなければなりません。それは、単に道徳的な意味合いだけでなく、実際に正しい瞑想をする上で、心身を相応な状態にするためのものです。

言い回しはいろいろありますが、簡単にあらわすと、「生きものを殺さない、盗まない、嘘をつかない、性的な過ちをしない、お酒を飲まない」です。

これらを守ることにより、心身を平静に保つことが出来、また精神集中に専念することができます。これら戒めは、理にかなったことではないでしょうか。

さて、この戒めに伴って、ひとつ肉食の問題が浮上します。生きものを殺さない、という点に関係するためです。

糖質制限の食事をしている私にとってこれはやっかいな問題です。何故なら、糖質制限は炭水化物(糖質)を極力摂らないが、肉などは食べ放題、という考えだからです。

肉は主要な栄養源の一つなのです。

仏教からの立場

初期仏教においては、肉食について特に禁止していなかったようです。自分の為に殺したり、殺されて供されたものは食べないが、在家者がその食事の残りを布施するにおいて、肉などが入っていても、残さずにいただく、という姿勢であったとのこと。

後に、肉食禁止などの厳格な戒律が定められていきました。決まりごとがなし崩しにならないようにする為には必要だったのかもしれません。

さらに事を難しくするのは、よくベジタリアンと一般人の間で議論される、「植物にだって命があるじゃないか」、といった問題。

また、社会的な背景も時代により違います。例えば、今、仲間内で食事会などが催された場合、私がそこに出されているものを食べなければ、それは、破棄されるのです。そういった形で破棄される食料は膨大だと聞いています。かたや、飢えて亡くなる人たちがいるのにもかかわらず。

こういったことは別の問題として取り組む必要があるかもしれませんが、今はシステムとして、肉や魚なども半ば自動的に準備される社会なのです。

これらについて、私もいろいろ考えました。しかし、この問題、議論に執着していると、肝心な正しい精神集中に弊害が出そうです。正しい瞑想につなげる為の五戒であるはずが、逆に障害になりかねません。

そこで、心の平静を保つために自分の考えをまとめる必要にせまられました。そして今のところの考えが以下です。

1.もちろん、極力生きものの命を奪うようなことはしない。
2.経験的に肉体への影響を考慮し、また自分の心情的にも、進んで肉は食べないようにする。
3.魚介類、植物については、必要な栄養素を取り込む上で、感謝していのちをいただく。
4.肉も含めて、供されたもの、用意せざるを得なかったものについては、残さず感謝していただく。
5.玉子(無精卵)、乳製品なども感謝していただく。

まだまだ考えが固まったわけではありませんが、しばらくはこの方針でいってみようと考えています。


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