第五章 凝縮した修行法


凝縮

瞑想のトレーニングに関して、十六考察よりも簡略化された方法の紹介です。

凝縮した修行法

次に上げるものが、十六考察のように体系立てて訓練する時間のない人や、そういった性向を持たない人のための簡略化されたトレーニングです。

1.一定レベルの集中力と静寂さが得られるまで呼吸の修行をすること。

2.心身プロセスに現れてくるすべてのものに自覚的に意識を開いて、それがみな無常であり、不満足をもたらし、本質的な自己を欠いていることを見つめる。

瞑想はひとつの技芸であり、そこには、呼吸のみに集中することと、心をより大きな注意の場へと開くことという二つのモードとの取り組みを学ぶことが含まれています。

無常を厳しく見つめるということは、内容からプロセスへ注意を転換するということです。この転換は修行における主要な転換点であり、自由に向けての大きな一歩となります。

無選択になること

呼吸を見守る一定の静寂さが得られたなら、あらかじめ何に気をつけるべきかは決めておかず、何が現れてきても賛成も反対もしません。

この修業方法は初心者には薦められません。考え事にはまっているのに修行していると信じてしまうことがあるためです。

ヴィパッサナーに移る前にどれくらいサマタを必要とするかについて、心の自然な輝きを曇らせる5つの状態、すなわち感覚的な欲望、落ち着きの無さ、怠惰、怒り、疑いを停止させることが役立ちます。

これら心の状態が心にあらわれたら、注意をもって観察し、障害の力が弱まったら、呼吸に戻ってそれに専心します。

呼吸は現在の瞬間に心をつなぎとめ、明晰さと注意を保つ助けとなります。しかし、本当のポイントは、心の中で何が起こっているかを自覚することです。

選択なしの自覚が成就された状態とは、ただ坐っていること、すべての支えや方法や方向やテクニックを手放すこと、自覚しながらただそこにいることです。

凝縮した修行法についての私の理解

凝縮された修行方法と、体系だった十六考察による修行方法のどちらが優れているといった区別はないことを理解しました。

呼吸は現在に自分をつなぎ止めておく助けとなるもの、そしてその集中を元に心に起こる様々な事象を観察すること、分析や心理学的考察をすることなく、ただ見つめることが必要であると理解しました。

自分としては、十六考察による瞑想が今のところは合っているかと思いますが、日常生活においても「気づき」を活かすには、凝縮された修行方法を応用することも必要かと思います。


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