ブッダは、瞑想の準備段階として、正しい生活を送ることをあげています。
八正道と瞑想
正しい瞑想には正しい生活が必要ということで、つまりは八正道です。
八正道とは、単なる道徳的戒律かと思っていましたが、そうではなく、瞑想にとって必要なものだったのです。
参考記事:“第二部 第二編 道の諸段階 第二章 第一段階-戒律
さて、私達はそれらを実際に実行することが可能でしょうか?
正しい見解や思いは、完全ではないにしても、「完全」に少しづつ近づく努力はできそうです。
例えば怒りや物欲などは瞑想の成果と相まって、コントロールすることが徐々に可能となっています。
正しい言葉や生活も然り。質素な華美のない生活は、なんとか私も実行できそうです。
瞑想の常として、いつも注意を怠らないことにより、正しくない言葉を吐くことも少なくなっていくでしょう。
難しいのは、純潔です。邪淫の否定と言っても良い。
いわゆる在家という立場であれば、結婚までは否定されない。今世は在家として、来世に解脱を目指す、という考えが仏教にあります。
しかし、今世で正しい瞑想を目指すのであれば、「純潔」、身体のみならず思いの中でも「純潔」、が求められます。それが仏教であると認識しております。
現在、そうでないにしても、それを目指す努力ができるでしょうか。それとも、在家として、仏教に親しみ、仏教を研究し、心身をリラックスする程度の瞑想を行うしかないのでしょうか。
以前は、「純潔」については、無理だと思っていました。しかし、最近は瞑想をすすめるにつれて、「もしかしたら」と思う瞬間もあります。
日常からの離脱。それが、私たちに可能でしょうか。いや、私に可能だろうか?
そもそも、何かに執着してしまっているのだろうか。私から離れ、ただ、坐り瞑想すれば良いのかも。
日々、つらつら考える私です。
そして、瞑想修行はつづく。