十一番目の考察が取り上げる心的状態は、人間にとって極めて価値あるにもかかわらず、私たちのほとんどがあまり経験していないものです。
第十一の考察
11.「心を安定させながら息を吸おう。心を安定させながら息を吐こう」と訓練する。
この考察では、集中したときの心と集中していないときの心を理解していきます。重要なのは集中の対象ではなく、どれくらい深く集中したかということです。
集中力を養うためには、仏教における戒も大きな助けとなります。
戒とは、殺さないこと、盗まないこと、性的なエネルギーを誤用しないこと、言葉を不適切に使わないこと、心を曇らせてしまう物質を使用しないことです。
修行とは、瞑想することだけではありません。瞑想の前段階としての戒も重要です。正しい日常生活を送ることが、より深い集中の手助けとなるのです。
集中力が増すにつれ、渇愛、怒り、落ち着きの無さ、鈍さ、疑いといった障害がなくなっていきます。その集中力から喜悦が生じ、喜悦から深い安らぎが生じます。
その安らぎはさらに深い状態へと続きます。実際に何が起こったかというと、心がエネルギーを散逸させることをやめ、ひとつにまとめたのです。
あなたはエネルギーに満ち溢れ、より明晰で愛する心に溢れます。より知的にさえなっています。
心が完全に集中した状態は安止三昧(アッパナーサマーディ―)と呼ばれます。
それは、感覚的な快楽とは何の関係もない本来的な幸せです。
感覚的な快楽をもう楽しまなくなる、というのではありません。感覚的な快楽に執着しなくなる、これまでと違った仕方で享受する、それらを必死に求めることがなくなる、ということです。
なぜなら、本来的な内なる喜びを手にしているからです。
十一番目の考察についての私の理解
心を安定させる、深く集中するには、瞑想だけではなく、瞑想の前段階である、日常生活を正しくおくることが大切であることを理解しました。
五つの戒については、本サイトの仏教のカテゴリーでも学んでいましたので、すぐに理解することができました。今までは、仏教の戒律というと単に道徳的なことを述べているだけと思っていましたが、実際には正しい瞑想を行う為に必要な準備段階であることがわかりました。
倫理的、観念的な教えというよりも実践的に必要であるものごとの教えであると認識しました。
十一番目の考察にある心の安定、深い集中に達しているかの具体的目安として、自分にエネルギーが満ち溢れているか、より明晰で愛する心に溢れているか、といったことを確認したいと考えます。