第一部 二編 歴史上の仏陀 第二章 人間として、および宗教的指導者としての仏陀


白鷺

仏陀の人柄についてです。

仏陀の人格

仏陀の人格をあらわすと、「気品を備えた柔和と慈愛、そして冷静な自制心」という言葉になります。

仏陀はあらゆる低俗なものを全て超越して、ひたすら霊的なものにおいて生活していた人です。そして、ただ霊的なもののみに集中された仏陀の強烈な内面生活から流れる言葉の無比の威力。

仏陀は理論や教理を聞き手に教え込もうとしたのではなく、完全なる回心、思考と感情の完全な一新を引き起こそうとしました。

仏陀は、教化において、経(講義、説法)、詩篇、伝説、説話をもちいました。聖典の中には同じ意味合いの言葉の繰り返しも多いですが、それは韻律という観点から捉えなければなりません。

仏陀はまたその教えを理解させるために比喩もよく用いました。仏陀の智慧は、抽象的な教説よりもむしろ比喩の形において、意味深く表現されることが多いのです。

仏陀は教える相手に合わせて、形而上学的概念から素朴な民間説話まで、あらゆる手法を用いました。

沈黙の威力

仏陀をあらわすのに、その言葉の威力の他に、沈黙の威力があります。

仏陀の沈黙でとくにいちじるしいものは積極的教訓の含みのある拒否です。特に形而上学的問題への対応は冷淡にも見えますが、それは仏陀が出現したのは、理論的、哲学的な問に答えるためではなく、悩んでいる人類を救うためであるからです。

しかし、実際には仏陀に形而上学的素質がなかったわけではありません。

ここで、「純粋理性批判」で有名なカントに登場してもらいます。カントは、感性に結びついた思考、すなわち、「純粋理性」の範囲内では、高次の意味の実存の認識に達することは不可能である、と論証しましたが、それに反して仏陀は、感性に結びついた思考を克服することによって、高次の認識に至りつくといいます。

仏陀の沈黙は、思考の誤った道によっては決して宇宙の大問題に達することはできない、ということを示しているに他なりません。

哲学、ヨーガとの関係

仏陀は本来、哲学的思弁を拒否しましたが、しかし、後世仏教哲学が発展しました。

仏陀は、超感覚的なものへとのぼり、感覚的なものの束縛から離脱することを目標とする道を教えました。ただの学理とは反対の瞑想的な宗教思想に属しましたが、こういう宗教思想をインドで後世に「ヨーガ」と呼びます。

仏陀は、心霊的なものよりも、むしろ、あらゆる意味で「道」の基礎をなす倫理的なものの方に、決定的価値を認めました。低級な呪術や通俗の迷信に類することをすべてまったく嫌い、弟子たちがそういうことにたずさわらないようにかたくいましめた。

弟子との関係

「中部経典」の中の「随煩悩経」によると、仏陀を中心とした人々の集まりにおいて宗教生活ぜんたいが、ヨーガの雰囲気にひたっていたことが明らかになります。仏陀は、各人の修行上、それぞれの要求と進歩とにふさわしいように、各人の実習をきめました。

仏陀の弟子の中で心情的要素を代表するものがアーナンダです。また、彼はいつも師の側にいて仏陀と外界との交渉役となりました。

霊的要素を代表するのは、シャーリプトラとマウドガルヤーヤナです。この二人は仏陀の二大弟子といわれます。もう一人の弟子、アヌルッダは透視にかけて最も天分があったと言われています。

仏陀の敵としては従兄弟で生涯仏陀の教団指導を妨害したデーヴァダッタがあります。

同時代の人々

同時代、デーヴァダッタ以外で仏陀に敵するものはいなかったようです。

仏陀は、カースト制度も容認しました。しかし、教団に属するものは、カストの名を失い、ただ、仏陀の弟子とのみよばれると教えました。

また、仏陀もその弟子たちも、他派の修行者たちとも、かなり親しく交わっていたようです。

女性について

女性との関係は、仏教をぜんたいとして理解するために重要です。

アーナンダは、女性に対してどういう態度をとったらよいか、と師にたずねました。

「見ないこと」と仏陀は簡潔に答えます。

「しかし、もし見たら」

「話をしないこと」

「しかし、もし話をしたら」

「アーナンダよ、もしそうなったならば、気持ちをしっかり保ち、心を固く守らなくてはならない」

仏陀の女性に対する教えとしては、当時のインドの状況も考慮しなければなりません。仏陀としては、このように女性問題を決定する以外にはなかったのです。

しかし、仏陀は尼僧を認め、女性にも宗教生活に参加することを許し、男女同権を承認しました。

仏陀は、結婚していた事実、また遊女の招きに応じて食卓につく、などの事柄から考えても決して女性嫌いであったわけではありません。

師に対する崇拝

仏陀は、男女の弟子、信者、あらゆる種類の周囲の人々、王やバラモン、身分の高いもの卑しいもの、あらゆる方面から崇拝を受けました。

仏陀は、旧時代の師が弟子を束縛したようなことはせず、弟子たちを教育していわば独立させようとし、のちにはこの教えをもって生きている師に代えることにしました。

仏陀を崇拝する気持ちは教団に入る時に唱える文言でもあきらかになります。すなわち「私は仏陀に帰依する」

帰依者たちが仏陀を尊敬していたのは、哲学の理論家としてではなく、その人格の偉力によって感化し、実践の至福の目標を実現することを目指す自習の道を教える師としてであったことがわかります。

仏陀の人柄に対する私の理解

仏陀が同時代のあらゆる人から崇拝されていたことが理解できました。また、私自身もベックの著作から伝わる仏陀の人柄に触れ、感化される気持ちが強いです。

それはまた、ベックも仏教を、そして仏陀を深く理解していた為、その文章が力をもって私に伝えるものがあったからと考えます。軽率な考えながら、私も一目仏陀にお会いしたかった等と考えてしまいます。


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