第一、第二の考察を続けつつ、第三の考察に入ります。
第三の考察
3.「全身を感じながら息を吸おう。全身を感じながら息を吐こう」と訓練する。
仏陀は、教えが真実であるかどうか、自分の目で修行の成果を吟味するよう要求しています。そして、著者は仏教は信仰するものではなく、直接体験による知識であると説いています。
この三番目の考察は身体の本質に焦点を当てます。
私たちの多くは、身体イコール自分と信じ、身体を大切にしようと躍起になり、また逆に嫌悪したりします。しかし、仏教においては、身体が存在することはに疑問の余地はないが、身体は私たちの所有物ではないと考えます。
私達は身体をコントロールすることはできません。身体からの要求を聞いて、それに答えたり、答えなかったりしながら生活しています。また、どんなに要求に忠実に答えてケアしても、身体がいつ力尽きてしまうかはわかりません。
身体の健康を保ったり、見た目を良くしておくことは、そのプロセスに執着しない限り悪いことではありません。
呼吸への集中から、身体への集中への移行する方法はいくつかあります。
ひとつ目、呼吸の集中から自然に移行する。
二つ目、身体の部分、部分に焦点を当てながら、身体全体に注意を巡らせる。額、目、鼻、後頭部、耳という具合に感じとっていく。これは思考を含まず、感覚を経験するだけです。呼吸とのつながりを失わないように注意します。身体に感謝して味わうことがポイント。
三つ目、身体の部分的な領域で息の感覚を感じる。
これらを行なって、心と身体と呼吸とをひとつにまとめる。
身体に注目するもうひとつの方法
死を意識する。これは、身体を理想化することに対してバランスを取るために行う。
死という概念的なものというより、身体はやがて朽ちてしまう、そのイメージを瞑想します。それらは、やがて醜いものだと思わなくなり、やがて物事の在り様の一部として見られるようになる。
身体に対して、理想化することもなく、嫌悪することもなくバランスを取ることが大切。
ここまでの理解
第三の考察において、呼吸の集中から身体への集中へと移行したことを理解しました。
実際に第一、第二の考察に基づき瞑想を実施していると、自然に身体への集中に移行している自分に気づきます。身体全体で呼吸する感覚になっていました。
身体を部分的に感じながら、集中していく方法や、死を意識する方法も段階的に進めたいと思います。