緊張って無理に消す必要のないものだと気づいた


気づき

日常生活に、「気づき」を取り入れることは、実に興味深いです。

元々、私は緊張しやすい質なのですが、そんな私を注意深く見つめていると心や身体が実に様々な動きをすることがわかります。

私の緊張時の状態

緊張時の私を観察してみると、身体は熱くなってきて心臓の鼓動が速くなり、顔の筋肉が強張ってきます。

心も高揚したり、物事を考えにくくなったり(いわゆる真っ白になったり)と様々な様相を呈します。

そう、一言に緊張と言っても、実際には同じ状態であることは決してなく、常に微妙に、あるいは大きく状態が変化しています。

そんな自分の状態が面白くなってきました。

自分の心や身体の状況を面白がり、興味をもつことによって、緊張しがちな自分の状態が緩和された感があります。

分析するのはあまり良くないことかもしれませんが、やはり緊張は、人間が戦闘態勢に入るときに必要なものであると実感しました。

つまり、眠っている身体を揺り起こし、血流を上げ、筋肉を臨戦態勢にする。精神も高揚し、神経も緩慢な伝達から鋭敏な伝達速度にシフトチェンジ。

ここで、心と身体の臨戦態勢を維持しながらも心の平静さを保つことがおそらくベストな状態であろう、一流のスポーツ選手などは、それが出来る人なのだろうと推察しました。

今まで自分は、緊張した場合、リラックスすることだけを念頭にして余計緊張したりしてましたが、実際には、緊張は悪いものではなく、むしろ必要なものであると実感できた次第です。(心は高揚しつつも平静さを保つことが必要)

本来の瞑想の目指す道ではありませんが、日常生活に役だった経験についてお話しました。


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