第二部 第二編 道の諸段階 第四章 第三段階-英知


英知

英知もまた、瞑想との関連で理解しなければなりません。

英知について

仏陀によれば、英知とは思弁的悟性(伺察)の結合ではなく、高度な洞察眼的直観の成果(神通)です。それは正しい瞑想(正定)によってのみ得られます。

そしてその瞑想は、自制的訓練(戒律)を基礎としなければなりません。

瞑想により、ある境地まで達すると、修行者は、さまざまな神通を得ます。

その能力のうちのひとつ、前世の想起について、仏教では教義としてではなく瞑想的体験として把握しなければなりません。

前世の記憶は潜在意識の中にあり、瞑想によって潜在意識が意識にまで高められることによって、前世の記憶を垣間見ることができるようになります。

第二の英知は、生死輪廻を繰り返している生きものの運命に関するものです。生きものは、その業によって天上界、あるいは暗い場所に落とされます。

天上界にのぼるものがどういった神々のもとにつくかは、彼らのこの世で到達した霊的体験の程度、英知と慈愛との度合いによってきまります。

また天上界の至福も永遠に続くものではなく、相応する業がつきるとまた人間として生まれ変わります。輪廻から完全に抜けて解脱するには、どうしても人間として生まれ変わらなければならないのです。

非人間的行為をした者は、非人間的領域に赴きます。仏教では、地獄界、アスラ界、畜生界に生まれるのは、人間界に生まれるよりもずっと多いと語られています。

しかし、それも未来永劫ではなく、業が尽きれば、人間界や神々の世界に生まれ変わる可能性が開けます。

これらのような、仏教の英知から結果として現れるものが、第三の英知、苦悩と苦悩の克服とについての英知です。

この苦悩、苦悩の起源、苦悩の絶滅、苦悩の絶滅にいたる道についての英知も、思弁や抽象的価値判断からうまれるものではなく、瞑想上の省察からただちに得られる成果なのです。

仏教においては、死と無常性こそが本来的な苦悩です。そして、無常は苦悩であり、苦悩であるものは自我ではなく、真の自己ではないということを忘れてはなりません。

十二因縁について

  
苦悩の教理が仏教における絶対的真理ですが、より、論理的要求に答えるかたちで説かれたものもあります。それが、十二因縁です。

すなわち、(1)迷い(無明)、(2)潜在意識の中にあるもろもろの構成力(行)、(3)意識(識)、(4)名と形(名色)、(5)六種の官能(六処)、(6)接触(触)、(7)感覚(受)、(8)官能的欲望(渇愛)、(9)欲望の燃料としての官能的なものの把握(取)、(10)肉体の現存ないし存在(有)、(11)誕生(生)、(12)老と死と憂いと嘆きと苦しみと悩みと絶望(老死愁悲苦悩痛)です。

これらは、順に無明を縁として行が生じ、といったかたちて(1)から(12)までが続きます。この順行形式(順観)を生成の形式と名付け、逆を生成否定の形式と名付けることができます。なお、順に生じる時は、縁と言い、逆は滅と言います。

十二因縁の意味は、とても深く、容易に理解されるものではありません。

この中で、実際に肉体としてのかたちを現すのは(10)有であり、すなわち受胎のことと考えられます。そして、それより前の段階は霊的存在と考えられるのです。

すなわち、個性がまだ生起していなかったある時点において、霊的存在者の中に、苦悩についての無知(無明)が存在したために、この生成過程が呼び起こされ、霊的な生成と形成との様々な段階を経て、ついに肉体上の存在ないし現世の誕生という苦悩に到達した、ということです。

かつまた、迷妄を滅ぼせば、その生成過程は止滅せしめることができます。

または、無明とはすでに前の生涯から新しい生涯に持ち込まれた迷妄の胚であるとみなし、そういう迷妄の胚が原因となり業の法則に従って、必然的にこの新しい生涯がひきおこされた、とも考えられます。

つまり、縁起説とは、まず霊的関連の世界において、そして次に、具体的に個々の人間生成の場合において、超感性的なものが感性的なものに、大宇宙的なものが小宇宙的なものに、霊的なものが肉体的なものになり、従って生と死という苦悩にまで成り下がる、その出発点は、苦悩の真理についての迷妄が存在しているということです。

また、縁起の心理的様相と宇宙発生的様相は、つまるところ同一のものです。すなわち、宇宙過程の解消、世界苦の滅却もまた、人間が自己の迷妄を滅し、苦悩の真理の認識へと進むことによってのみ実現することができます。

苦悩から信仰が、信仰から歓喜が、歓喜から喜悦が、喜悦から心の平安が、心の平安から安楽が、安楽から精神集中(三昧)が、精神集中から真実なる洞察的認識(如実知見)が生じます。そして、そこから俗世のものの疎外(厭患)、欲情の放棄(離欲)、ついには解脱と解脱の自覚(解脱知見)が生じます。

解脱については、次章。

第三段階-英知についての私の理解

仏教の英知とは、論理的、思弁的な思惟から生まれるものではなく、正しい瞑想によってのみ得られるということを理解しました。

また、英知の内容は、輪廻転生、生きものの運命、苦しみの教理であると認識しました。

苦悩、苦悩の起源、苦悩の絶滅、苦悩の絶滅にいたる道についての教理を別のかたちで説いたものが、十二因縁であること、そしてそこに苦しみの成り立ちや、滅却に至る道が説かれていることがわかりました。

十二因縁については、奥が深すぎるので、他の書でも研究したいと思います。

またこれら知識については、他カテゴリーの瞑想における諸段階を理解する上で大変役立ちます。

瞑想を進めるにあたって仏教を同時に研究することは、大変意義のあるとあらためて感じます。これにより瞑想修行のスピードを早めたり、推し進める為のエネルギーを得ることができます。


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