仏教の道の第一段階、戒律についてです。
第一段階-戒律
道徳的規律(戒)は、八正道の第二から第七までを含みます。すなわち、正しい決意(思考)、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思念です。
仏教では、弟子が最初の発展段階にあるときは、「悪を避け、善を行い、精神を用心深く見守ること」といった倫理的戒律を守るだけですが、この外面的規律は、別の段階に達するための通過点です。
すなわち、倫理的なものは、すべて、瞑想の為の予備段階にすぎません。これら戒律は、瞑想にとってまったく関係ないものではなく、むしろきわめて密接に関係があります。
仏教における瞑想には、四無量心が満ち溢れています。四無量心とはすなわち、「慈悲喜捨」、慈しみ、哀れみ、喜びを共にすること、平静なことです。
仏教の基本的戒律の一番目は、「不殺生」です。二番目は、「盗まない」で、これは実際の行為だけではなく、精神的なものも含みます。
第三の戒律、「純潔」は、梵行といわれ、仏教の修行においては極めて重要な意味を持ちます。在家のものは、姦淫と不貞を避けることだけが義務付けられていますが、道の修行者に対しては、身体、言葉、思考とにおける完全な禁欲と純潔が要求されます。
すなわち、仏教の戒律では、ただの日常の道徳を問題にするのではなく、日常生活からの離脱をはかっています。
この第三の戒律を守ることができなければ、正しい瞑想に近づくこともできません。
第四の戒律は誠実です。これは、特に言葉に気をつける、いつわりの言葉や無思慮な言葉を口にしないということです。言葉は真実であり、好意的でなければなりません。
第五の戒律は酒類を避けることです。これは、正しい瞑想の妨げになると考えられるからです。
仏教に残されている仏典は数多いですが、そこには独自のリズムがあります。これは、理論的な必要のためだけではなく、瞑想に役立つためと考えられます。
仏教においては、極端な苦行、または快楽主義を避ける中道を説いていますが、すべての苦行を否定しているわけではありません。
必要であれば、二義的な補助手段としての苦行を用いることもあります。
また仏教においては、外面的清浄よりも内面的清浄を重んじます。修行者が目標に近づくことができるのは、外面的な規定を守ることによってではなく、倫理的行為と心霊的自制と智とを完成することによるものです。
仏陀は、慈愛深い心を持つもののみが、解脱に達する見込みがあるとさとしました。
また、修行者について、「正念正知」すなわち、思慮深い自覚、油断なき思慮を奨励しました。八正道の第七段階にあたる「正しい思念」がこれにあたり、瞑想の前段階になります。
仏教の戒律についての私の理解
八正道の最初の七つの段階は、単に倫理的規範を説いているのではなく、正しい瞑想に至る道への必要不可欠な要素であると理解しました。
これは、私の実践している瞑想においても、とても意義深い内容であると実感します。瞑想修行を一歩進める重要な内容であることは間違いありません。