第三章 心と共に呼吸する 第九の考察について


見晴らしが開ける

第九の考察についてです。

第九の考察

「心を感じながら息を吸おう。心を感じながら息を吐こう」と訓練する。

これまで行なってきた八つの考察は、この九番目の考察を行う準備を整えるためのものです。

これら八つの考察は、心の静けさを養う手助けをしてくれました。

普段、私達は心の奴隷になってしまいがちです。仏陀の教えの目的は、私たちが心の主人になることです。

心には、毒があります。それらは三つの煩悩で、貪欲、嫌悪、迷妄のことです。

心の考察は、これら三つの煩悩の状態を理解していくことが中核となります。煩悩がないときの心について知ることも同様に重要です。

貪欲とは欲望です。貪欲には、何かを取ろうとして手を伸ばし、掴んで、しがみつく特性があります。

自分の心に関心をもち、自分の心をあたかも初めて見るように無垢な仕方で見る、すると渇望は消え去ります。

二番目の煩悩は、嫌悪です。

ある意味、貪欲の反対で、私たちは、嫌悪を避けようとしたり、消し去りたいと思います。

怒りがこの状態を最も明確に示してくれます。怒りが起こっても何かしようとしてはいけません。

ただ、それを見つめ、怒りに近づき、いたわり、徹底的に怒りを経験するのです。

三番目の煩悩は迷妄(混乱)です。

前の二つに比べて、把握しにくいものです。例えば、心が暗闇の状態です。

三つのうちでこの迷妄(無知)がもっとも主要な煩悩です。他の二つはここから生まれてきます。

修行の試金石は、迷妄が存在する時に、この混乱と共にあること、見つめることです。

混乱しているとき、それが修行を妨げていると考えないでください。その迷妄があなたの修行なのです。

心を経験すること

心を経験すると、心の状態からエネルギーを抜き取り、もはや私たちを突き動かす力を持たなくすることができます。

心の状態と共にあること、抵抗したり、拒否しないこと、同一化はしないこと、友好的に観察すること。戦場となっている私達の心を平和共存の場所に変えることです。

心が作り出すものは、雲のようなものです。そのうしろには広大な空があります。

私たちの敵も味方も私達の心の中にいます。問題は外にあるのではなく、内にあるのです。

煩悩は非常に強力で危険な力です。軽く見すぎてはいけません、しかし、それは戦うということではなく、ただ観察し、理解することですが、軟弱すぎる態度は望ましくありません。

心をありのままに見つめる

欲望は苦しみであると明らかになったときに、その人の修行は始まります。ただ見つめること、共にあること。

すべての渇望の対象を諦めるということではありません。それらの奴隷にならないという意味です。

心に渇望がないときの状態がどのようなものか見つめることも重要です。

欲望の中には、安らぎも喜びもなく、欲望の不在の中に大いなる安らぎと喜びのあることを理解し始めます。この事実を理解することが重要です。

怒りも同様です。怒りは心のなかに荒れ狂う炎です。消そうとしてはいけません、無垢な心で怒りに近づき、観察します。

混乱、迷妄の状態もただ見つめます。その心を知ります。そして、混乱がないときの心も知ります。

九番目の考察で難しいことは、これらすべての状態における心を知ることです。それは、坐っているときだけに限りません。

心の状態に親しくなって、何が現れても観察することができるという自信が出てきたら、第十番目の考察に進むと良いでしょう。

九番目の考察における私の理解、救済されたこと

瞑想の修行において、私が今ちょうどスランプ、いわば迷妄している、混乱している時期だったので、九番目の考察に進まずにいたのですが、出口が見えなかったので、九番目の考察に進みました。

結果として、自分が迷妄している状態であることに気づき、それはそのままで良い、その混乱を見つめ、共にあり、よくよく経験しようという考えに至りました。

仏陀の教えの精緻さに、感謝します。


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